最優秀賞3作品は、優秀賞1作品は、サイトに全文を掲載します。

また、最優秀賞の受賞者からは、受賞のことばもいただきましたので、合わせてお届けします。

 

受賞者は

中学生の部は最優秀賞のアユさん、優秀賞の大槻 奈々さん、

高校生の部は最優秀賞の中原 妃華里さん、中俣 由羽さんです。

 

4人の方々には賞状と図書カードを授与いたします。あらためまして、おめでとうございます! 

 

 

※応募者の作文は原則としてそのまま掲載していますが、表記ミスと思われるものを一部修正している場合があります。                        

 

 

【中学生の部】

最優秀賞

アユさん 中1

『モモ』 ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 岩波書店

 

【受賞のことば】

 私はこのコンクールに初めて応募しました。最優秀賞をいただき、驚きと喜びが入り混じっています。私は本を読むことが好きで、読んだ後よく頭の中で二次創作をしています。だから、このコンクールを知った時、自分に合っていると思いました。この物語は結末を考えずに書き始め、書いているうちにどんどんアイディアがわいてきて短時間で沢山書けました。将来は本に携わる仕事もいいなと考えていたので賞をいただき自信になりました。

 

【作品】

 目次 

 自分には長い前書き

 第一部 一年後のモモとその友達

   一章 静かな廃墟と楽しい話し声

   二章 なぞなぞ大会?

 

 第二部 時間どろぼうの暗躍

   三章 ある床屋での出来事

   四章 会議は灰色

   五章 動き出した悪い影

 

 第三部 攻撃開始と重大なミス

   六章 侵入成功/ある男の独り言

   七章 成す術もない。

   八章 任務遂行

   九章 すべて始まりに

   十章 終わりはいつか、やって来る

 

 

  自分には長い前書き

 

 私は物語が好きです。なので、将来は漫画家や小説家など本に関係ある仕事がしたいと思っています。

 今回私が選んだ本「モモ」は、モモという少女が不思議なカメ「カシオペイア」と時間をつかさどる「マイスター・ホラ」と一緒に時間を盗む灰色の男たちから盗まれた時間を取り返すお話です。本当の「時間がない」とは何なのかを教えてくれます。

 私が書くのは一年後のモモたちのお話です。不思議なモモたちの世界をお楽しみ下さい。

 

  第一部 一年後のモモとその友達

 

   一章 静かな廃墟と楽しい話し声

 モモがカシオペイアと別れて一年がたちました。今日も円形劇場の廃墟で、モモとその友達は遊んでいます。モモがいて、右どなりにはジジがいます。ジジはじょうだんをふりまき、夢みるような目をした、若ものです。一時はテレビに出るほどの有名人だったのですが、スケジュールでがんじがらめになって疲れてしまい、今は観光ガイドのジジとしてモモたちと一緒に楽しく暮らしています。

 左どなりにいるのが、道路掃除夫ベッポです。ベッポはとても小柄なおじいさんです。おかしな苗字ですが、職業が道路掃除夫でみんながそう呼ぶものですから、おじいさんもそう名のることにしています。

 その他にも、モモの周りにはたくさんの友達がいます。パオロ、妹のデデをつれているマリア、マッシーモ、フランコ、他にもいっぱいいます。みんな、必ずとはいえませんが毎日遊びに来ます。今日は、みんなジジの周りに集まってお話をしています。

「今日はここであったお話をしよう。」

 ジジは大きな声で言いました。子供たちもモモも興味津々です。

 ジジは一息吸ってから話しはじめました。

「みなさん、ここは太古の昔にはとても豪勢な広場だったのは知っていますか。ここは、かの有名なロストネラウスという建築家が設計した広場で、本当は部屋が何個もあり、壁という壁に金や銀、さらにエメラルドが埋めこまれていたのです。そして、この話はこの広場が建ってから一年たった記念に貴族だけを集めたパーティーが開かれた時でした。そして、最後の余興、手品が始まる時だったのです。マジシャンは、よくある人を切断するマジックをしようとしました。すると不幸なことにマジックが失敗し、本当に人が切断されてしまいました。もちろん会場はすごい騒ぎになりました。しかし、おどろくのはここからです。その切断された人が、何もなかったように上半身と下半身をくっつけて歩き出したのです。会場の貴族も、マジシャンも逃げ出しました。空っぽになった広場には、切断された人―ジロラモという青年があっけにとられてつっ立っていました。

 その先から彼は、いつも独りぼっちでした。彼のことを皆「呪われた人」と呼び、誰も近づこうとしなかったからです。ジロラモは必死に正体を隠しましたが、どこに行っても彼を受け入れる人はいませんでした。うわさは矢のように広まっていきますし、そもそもジロラモが歩くと、上半身と下半身があっちこっちに動くのですから!

 それから何年かたち、広場はさびれ、貴族たちもいなくなりました。でも、ジロラモは生きています。」

 眼鏡をかけたパオロという男の子が聞きました。

「ジロラモは、今どこにいるの?」

「この中ですよ!ジロラモはまだ、この廃墟にまだひそんでいます。そして、自分を受け入れる人たちを待っているのです。」

 みんなは、ジジのつくるお話が大好きでした。みんなは、おしゃべりを続けて帰ってきました。モモも、廃墟にある自分の小部屋に帰っていきました。ずっとこんな日が続けば、どんなに幸せだろうと思っていました。

 

   二章 なぞなぞ大会?

 今日はめずらしいことに、モモは寝坊をしてしまいました。石段の方に行くと、もうみんな集まっています。でも、今日は子供たちの数がとても多いのです。

 モモが来ると、マッシーモという太っちょの子がソプラノボイスで言いました。

「僕たち、モモのことを待っていたんだよ。今日は、なぞなぞ大会をするんだ!」

 事はとても早く進んでいきました。解答者は、モモとジジ、そしてマッシーモと麦わら帽子をかぶったヤスという少年です。解答者の前には、小さな木箱やダンボールがおかれてとてもそれらしくなりました。出題者はベッポと他の子供たちが、順番にすることにしました。

 モモは初めてのことでどきどきしました。空は青く、すみきっています。最初の出題者はベッポじいさんなのですが、ベッポは何をやるにも丁寧にゆっくり考えます。なので、なぞなぞ大会が始まった2分後にやっと問題が出題されました。

「それはな、火にも水にも弱いんだ。」

 さらに2分がたちます。

「けれど、皆を夢の中へ連れていってくれるのだ。」

 ベッポは、言葉にすることも疲れたように言いました。

 モモは考えました。

(火にも水にも弱い物?人間かしら。でも、夢の中に連れていってくれる物でしょう。思い出?でも、思い出は火にも水にも負けないわ。夢の中に連れていってくれる、ということは現実ではない所を見れるということかしら。そして、火に弱いから燃えるもの。水に弱いからぬれたら使えなくなるもの。現実の世界ではない―物語?そうよ!物語よ!そして、物語が書いてあるのは本。本は火にも水にも弱いわ。だから答えは本だわ!)

 ジジやマッシーモなどは、ああでもないこうでもないと議論しています。モモは素早く手を上げました。

 みんながモモをじっと食い入るように見つめます。これでは、答えがわかっていても緊張して答えを間違えそうです。

「答えは…本よ。」

 少し声がかすれてしまいましたが、普通に言えました。

 ベッポじいさんは、何も言いませんでした。でも、モモもみんなも知っていました。ベッポは、答える必要がないと何も話さないということをです。

 ジジが言いました。

「まだ一問目だろう。次の問題から全部、おれが解いてやるぞ!」

 モモもなぞなぞが得意だったので、ジジと同じ気持ちでした。

 けれども、なぞなぞ大会にはこの問題しか出題されませんでした。なぜなら、なぞなぞがこれ以外思いつかなかったからです。ベッポじいさんも、これしか知らなかったし、みんなも、なぞなぞと言われてそう簡単に思いつくものではありませんでした。なので、モモが優勝です。誰かが、お祝いをしようと言いだしました。子供たちは、一旦家に帰ってパンを一切れだったり、桃を一つだったりと食べ物を少しずつ持ってきました。でも、「ちりも積もれば山となる」ということわざは、このためにあるのでしょう。子供の数が多いだけに、とてもたくさんの食べ物が集まりました。左官屋のニコラや居酒屋を経営しているニノなど、円形劇場の周りに住んでいる人たちを呼んで、ちょっとした宴会をやれたほどです。モモの友達だけが知っている、素敵な宴会です。おかしななぞなぞ大会でしたが、これはこれでいいな、とモモは思いました。

 ただ一人、この結果が不服な子がいました。あのなぞなぞ大会にでていた、太っちょのマッシーモという子です。彼は最後に、モモに言いました。

「でも、なぞなぞ大会で優勝できなかったのが残念だったな。後の問題は、全部僕が解いてやろうと思ったのに!」

 

  第二部 時間どろぼうの逆襲

 

   三章 ある床屋での出来事

 円形劇場の廃墟からちょっと行った所には、大都会がそびえています。そして、大都会にだって、光がささず、ずっと闇がうずまいている場所があるのです。そこで、灰色の男―つまり時間どろぼうが、ある計画のため動き出していました。そのやり方は、泥棒らしく人をだますような方法でした。

 フージー氏の場合を見てみましょう。フージー氏は、今日もいつものように客と話しながら髪を切っています。フージー氏は床屋ですからね。

 ちょうど今の客が出て行くと、店は静かになりました。使用人が休みなので、今日はフージー氏一人だけです。鼻歌を歌いながら店の中を歩いていると、店のドアが開きました。フージー氏がふり返ると、その人はどうも奇妙な格好をしていました。服はすべて灰色ずくめで、かばんも、葉巻まで灰色です。気のせいかもしれませんが、店の中の温度が2℃くらい下がったような気がします。そして、はたまた奇妙なことに、この紳士とはどこかであったことがあるような気がします。

 フージー氏が何か言おうとするのを、灰色の紳士は手で制し、ゆっくりとかばんを置きました。そこからは一瞬だったのですが、紳士はポケットの中に手を入れ、取り出した拳銃で、フージー氏のうなじめがけて撃ったのです。灰色の紳士は、仕事を終えたと言わんばかりにそそくさと帰っていきました。

 数分して、フージー氏は目が覚めました。フージー氏は、自分が銃撃されたことも、灰色の男に会ったことも、銃弾がまだ残っていることだって忘れていました。フージー氏は、頭をポリポリとかきながら、いつものように次の客を待っていました。フージー氏はどうなってしまうのでしょうか。あの銃弾は何なのでしょうか。一週間後に意識を失うとか、字が書けなくなるなど、弾に変な薬が混ざっているのでしょうか。それとも、普通の弾で、フージー氏は奇跡的に生き残っているのでしょうか。答えは、全部不正解です。でも、あの銃撃をくらった人には、特別な事が起こるという点では合っています。でも、フージー氏はそんなことつゆ知らず。陽気に話しかけながら、先ほど来た客の髪を切っています。

 こんな、「普通ではないこと」が、大都会中で起こりました。でも、もちろん誰も覚えていません。とうとう今日で、大都会中に暮らしている人々全員のうなじに弾が撃ちこめられています。大都会に住んでいる人々は、どうなってしまうのでしょうか。

  

   四章 会議は灰色

 大都会の南東にずっと行くと、灰色の家があります。扉も屋根も、えんとつだって灰色です。普通、こんな家があったら誰かの記憶に残っているはずなのですが、灰色の色は、みんな知りません。周りには草しか生えていませんし、大都会のはしっこに建っているからです。その灰色の家には、はたまた不思議な、灰色づくめの紳士が暮らしていました。

 そこで、どこかで見たことあるような会議が始まりました。見た目はごく普通の会議なのですが、話している内容が普通のことではないようです。

 (はぁ…憂鬱だ…。)

俺は上司に見られないよう、ひっそりため息をついた。

 部屋中を見渡すと、灰色だらけで、見たくなくなってくる。しかも、みんなコートをぬいで、さらに帽子もぬいでいるので、どこを見渡しても、ハゲ・ハゲ・ハゲ。本当に嫌になる。俺は、いつか、人間みたいに自由になりたい。いつもそう願っている。

 そんなことを思っているうちに、時間になったのだろう。司会(俺の上司)のダミ声が聞こえてきた。

 「では、時間なので始めさせてもらう。今日は、〈あの作戦〉の第一段階が終わったため、第二段階の説明とさせていただく。まず、私達の作戦をもう一度確認するぞ。まず、この大都会の人々に「遠隔操作弾」を撃ちこむ。撃ちこまれた人は、我々が遠隔操作をできるようになる。ここまでが第一段階だ。そして次に、遠隔操作した人々を〈どこにもない家〉に行かせるのだ。あのマイスター・ホラだって、人間には手も足も出ないだろう。そして、時間の花を盗むのだ。これで我々は、時間に飢えることはない!

 この話は絶対秘密だ。もしも、漏らしたら処罰の対象だ。いいな?」

 相変わらず、話が長い上司だ。さっさと、ミッションを終わらせて帰りたい。

「次は注意事項だ。」

上司はそう言うと隣の男が話し出した。

 隣の男は咳払いを一つして、話し始めた。

「皆さんご存知の通り、我々は前回マイスター・ホラという男に敗北した。この時我々は、たった一人の逃げた同志によって助かった。

 注意事項は2つだ。一つ目は、危険人物についてだ。〈どこにもない家〉の主、マイスター・ホラ。半時間先を見通せて、ホラのペット、カシオペイア。そして、子供だ。子供は、残念ながら操作できない。そして、子供の中で最も危険なのは、モモという少女だ。この少女は、特殊能力を持っている。我々の作戦が漏れるのは、モモが関わっている場合が多い。もし、我々が動いていることを危険人物が知ったら、すぐにそいつを拘束しろ。例外は無しだ。

二つ目は、…。」

 まったく耳に入ってこない。桃に気を付けろとかいろいろ言っていた気がする。

 そんなことを思っているうちに、会議は終了した。とりあえず、上司について行けばいいだろう。

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 これは、灰色の会議が開かれている日の朝、モモの身に起こったことです。

 モモは、誰もいない廃墟で歌を歌っていました。思わず聴き入ってしまうような、きれいな声です。そんなモモにカメが近づいてきました。モモはすぐに気付いて、叫びました。

「カシオペイア?カシオペイアなの?」

 カシオペイアと呼ばれたカメは、モモに近付いて、

「ソウデス!」

と甲羅が光りました。

「どうしてここにいるの?」

「キンキュウジタイデス!」

「私は、どうすればいいの?」

「ホラノトコロニイキマショウ!」

「じゃあ、みんなに心配をかけないように手紙をかかなくちゃ!」

 モモは、前にジジからもらったレターセットと古い万年筆で書き始めました。

「 みんなへ

 私は少し旅に出ます。

 すぐに帰って来るから、ゆっくり待っていて下さい。

  モモ」

「モウ、イクヨ!」

 モモとカシオペイアは歩き出しました。カシオイペアはゆっくり進みます。モモもそれについて行きます。朝なので、人通りが少なく一度も止まらず歩けました。

 何分か、何時間かたって、やっと見覚えがある場所に着きました。ここに着いて、モモはもっとゆっくり歩くように意識しました。不思議なことに、ゆっくり歩くほど、速く動けることを、モモは知っていたからです。ここの不思議な風景が、モモは好きでした。数分たって、5番目か6番目の角を曲がると〈さかさま小路〉に着きました。モモは後ろ向きに歩きました。もちろんカシオペイアもです。ここでは名前の通り、何もかも逆さまなのです。少女と、カメが一緒に後ろ向きで歩いている場面を何も知らない人が見たら、おかしいんじゃないかと額をたたくと思います。

 はたまた数分かかって〈どこにもない家〉の中の〈マイスター・ゼクンドゥス・ミヌティウス・ホラ〉と書かれた名札の前まで来ました。ここまでの道のりは長いとも短いとも言えない不思議な感覚です。小さなドアを開けると、すぐ目の前にホラが立っていたのでびっくりしました。

「疲れただろう。朝食を用意してあるから、中にお入り。」

 部屋の中から美味しそうな匂いがします。モモはつい、かけだしてしまいました。

 

   五章 動き出した悪い影

 大都会では、大変なことが起こっていました。あの銃で撃たれた人々が、大通りを行進しています。この大軍の行き先は、〈どこにもない家〉。子供たちは、異変に気付きますが手も足も出ません。

 その頃、円形劇場の廃墟では、ジジとベッポがモモの帰りを待っていました。二人共、モモが帰って来た時におもしろい話をしてあげようと、話し合っています。

 時は早く流れて行きます。

 大都会の人々を操っている灰色の男は、ヘリコプターで人々の様子を見ています。上から見て、指示を出すのです。灰色の男たちは、〈どこにもない家〉への行き方も全て調べ尽くしたので、準備は完璧です。一時間もたたない内に〈どこにもない家〉に着いてしまいました。灰色の男は〈さかさま小路〉までしか入れないので、そこで待っています。

 食事が終わると、マイスター・ホラはこんなことを言い始めました。

「私の愛しいカシオペイア!モモを連れて来たということは、また何かあるのかい?」

 カシオペイアは、ゆっくり歩いて来て

「トテモタイヘンナコトデス!」

 という、文字を浮かび上がらせました。

「それは、何なのだい?カシオペイアよ。」

「ジキニ、ワカリマス!」

 ホラはあきらめたように、モモに話しかけました。

「でも、丁度良かったかもしれない。僕もモモに会いたいと思っていたからね。」

 ホラはため息をつきながら言いました。

「今日はかなり落ち込んでいてね。『なんでも見えるふしぎなめがね』が壊れてしまってね。あれは一つしかないのに…」

 ホラに話をさえぎってカシオペイアの甲羅が強く光りました。

「ソトヲミロ!キンキュウジタイダ!」

 そう言ったか言っていないか、操られた人々が、扉を壊して入って来ました。

 

  第三部 攻撃開始

 

   六章 侵入成功/ある男の独り言

 そこからは地獄でした。ホラはモモをかばうように安全な場所に移動しました。カシオペイアは、わざと人のいそうな場所に行って、つまずかせていました。

「どういうことなの?一体、何が起こっているの?」

 ホラは、悲しそうに言いました。

「僕が言えることは一つだけ。僕らは油断していたという事さ。まさか、こんなことになるなんて!」

 ホラは絶叫していました。そこに、ボロボロになったカシオペイアが来て

「アソコノヘヤヘ!」

と提案したので、モモは泣きそうになりながら扉を開けました。本がいっぱいあるので、書物庫のようです。

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 ヘリコプターに、俺は上司と乗っているのだが、非常事態らしい。上司が大声を出して叫んでいる。眠れやしない。

 ウンザリしていると、上司が命令を出してきた。

「おいお前、中に入って様子を見てこい!よくわからないが、あの小路の時間の流れが正常になっているらしい。それと、人間が操れないらしい。どうやら暴走しているみたいだ。我らの作戦を無駄にしないよう、がんばるんだ!」

 相変わらずムチャクチャを言ってくる上司だ。けれど、逆らえない。仕方ないのでパラシュートで〈どこにもない家〉の真上に飛び降りたが、うまく着地ができず、こけてしまった。どうやらここは、ベランダらしい。中に入ると俺は絶句した。

 俺たちが操ろうとした人々が、白目をむき、手にふれた物すべてを破壊していたからだ。

 ショックすぎて突っ立っていたら、急に目の前に、人間―今となっては怪物が現れた。

「ギャーッ」

 俺は逃げた。奇声を上げながら、何回物を投げて、扉を開けただろうか。逃げて、逃げ続けてもヤツらはやってくる。でも、とうとう行き止まりになり、後ろからゾンビのようなうめき声が聞こえる。俺は最後の望みで、横のドアを開けた。

 だが、それは最悪の選択だった。

 

   七章 成す術もない。

 急に人が入ってきて、モモは心臓が止まるかと思いました。目を開けると、灰色の物体がありました。それが人だとわかると、モモは悲鳴を上げました。何せ、一番の敵がここにいるのですから!

 モモのびっくりした目を見ながら、灰色の男は言いました。

「待て、待ってくれ。君が誰だか知らないが、俺は怪しい者ではない。追われているんだ。」

 モモもホラも、その言葉にうそは無いと思い、話しかけました。

「僕たちは、この騒ぎを止めたいんだ。君の知っていることを全部話してくれないか。」

 灰色の男は作戦や暴走など、すべてを洗いざらい言ってしまいました。言い終わった後、ホラは数分考えて、言いました

 モモは震え上がりました。ホラの作戦は、危険で、失敗する可能性も大いにありました。でも、それしか成す術がないことも、みんなわかっていました。

 窓がないのに、どこからか風がふいてきました。

 

   八章 任務遂行

 まず、ホラと灰色の男が外に出ます。怪物たちをおびきよせ、逃げました。モモたちが標的にならないように走りました。そのすきに、モモとカシオペイアは〈時間操作室〉に向かいます。時間操作室というのは、時間を過去に戻すことができるのです。しかし、そう上手くは行きません。カシオペイアは、とてもゆっくり歩きます。なので、時間がかかります。そこをあの怪物に襲われたら、もう作戦は失敗です。

「もっと速く行けないの?」

 モモはあせっています。

「コレガ、セイイッパイ!」

 カシオペイアだって、あせっています。でも、さすがカシオペイアです。誰にも会わないルートを通って、目的地に着きました。モモもカシオペイアもほっとしました。

 

   九章 すべて始まりに

 ホラと俺は逃げていたが、俺は夢中になって逃げるものだから、ホラとはぐれてしまった。

 そんなことを考えて、ふと後ろを向いたら俺は失神しそうになった。ショックのあまり、すぐに前を向いてしまったが、あれはホラだった。あの怪物にまぎれて、ホラがいたのだ。

 ショックと疲労のあまり、俺はこけてしまったらしい。俺は、こけたかわからないくらい混乱していたのだろう。俺も…怪物に…

 

   十章 終わりはいつか、やって来る

 モモは、この部屋が今まで見た中で一番異常だと思いました。この部屋は雪のように真っ白で、赤いボタンが一つ輝いているだけでした。

 すぐに、このボタンを押せば過去に戻れることはわかりました。ですが、モモはためらいました。ホラの言葉を思い出したのです。

「…だから、モモたちは過去に戻すんだ。でも、過去に戻したからって、未来が変わるわけでもない。僕たちは、すべて忘れてしまうからね。変わる確率は…そうだな、百億分の一ぐらいかな。不安になる気持ちはわかる。でも、僕らに残された道は…これしか…」

 突然、カシオペイアの甲羅が光りました。

「ハヤク!」

 モモは涙をふいて、ボタンを押しました。

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 モモという名の少女が、廃墟に住み付いたといううわさが、みんなの口から口へ伝わりました。

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 Continue to the past

 

 

優秀賞

大槻 奈々さん 中2

『たのしいムーミン一家』 トーベ・ヤンソン作 山室静訳 講談社

 

【作品】

 たのしいムーミン一家を読んで

 

  ムーミンは動物ではありません。スナフキンは人ではありません。どちらも妖精です。私は、ムーミンたちを、かわいいアニメキャラクターの中の一つと思っていました。ムーミンたちの物語が、こんなにも不思議で、そしてなぜか壮大で、だけどほっとする世界でくり広げられていることを知りませんでした。私はこの物語を、遠い昔話しを読んでいるような気持ちになったり、でも今の今ひょっとしたら、スウェーデンの街の小さな原っぱの中や森の中、海辺を人の目には見えないけど、ムーミンたちが、トコトコ走り回っているのじゃないかと思ったりしながら読みました。

 

 ムーミンたちの毎日は、キラキラした自然にかこまれた中で、のんびりしたり、冒険したり、しながらすぎていきます。ムーミンたちは妖精ですが、特別な力がある訳ではありません。だから、自然にさからうことなく、ドキドキしたり、苦労したりしています。そして、その状況を良いとも悪いとも判断したりはしません。仕方ないねと誰もが、思っているので、結局なぜかホッとできるのです。それは地球に生きる物にとって一番大切なことなのではないかと思います。ムーミンたちは冬眠をします。冬の厳しい寒さに対抗せず、あたたかいベッドを準備して、また春になったら会いましょうとあいさつをしながら、みんなで眠ります。眠るのを嫌がったり、ムダだと、心から思ったりはしていないのです。春になっても、むりやりおきたりしません。目が覚めて活動しはじめるのは、それぞれずれていてもいいのです。私は本当に、一度ムーミンハウスで冬眠してみたいと思ってしまう程、ひきつけられました。時間を気にせずに、自分が眠りたいぶんだけ眠って、春の気配で目が覚めたら、また、家族と友達と、どこかにでかけたりするのです。春の自然の変化はすばらしく、美しいけれども、ムーミン達は過剰に、喜びすぎる事はなく、春を心地良いと感じながらも、冬を否定することはありません。ただあたり前のこととして冬眠し目覚め、よく眠れたかい?とあいさつをかわす、想像するだけで心穏やかで気持ちが良さそうです。

 

 ムーミン達は、家族も友達も、みんなそれぞれ、お気に入りを持っています。スナフキンは服はやぶれていても気にしません。大事な持ち物はハーモニカだけです。ムーミンママはかばんがないと、とても不安になります。なくなった時はみんなで探しました。ヘムレンさんのかっこうは、いつもスカートです。男でも女でも関係はなく、おばさんから相続した、スカートをはいているのです。だれも何も言いません。まただれかに何か言われるとも思っていません。大事と思うものや、大切だと思う事がそれぞれ違っても、みんな大丈夫なのです。体の形も、暮らしも違っていても、認め合っています。そして自分達のこだわりを人におしつけたりもしません。なんとなく、まぁいいやという感覚でのんびりかまえているのです。自分の思いどおりになることや、自分の考えが全く同じになる人など、そんなことは絶対にありえません。それなのにちがうからといって相手を攻撃したり、されたりすることは、とても悲しく、おそろしい事だと思います。お気にいりはあっても、他のみんなに迷惑をかけたり、その人自身にとってよほど悪い結果とならないかぎりは、それぞれの人が大切にしたいことを、すてきだねといって、暮らすムーミン達の心の豊かさが、この物語の基礎となっていることに気づきました。

 

 ムーミン達が、魔法のぼうしを見つけて、不思議なことが起こった物語は、読みすすめていくうちに、自分の予想とは違う意外な展開に驚いてしまいました。この物語で唯一、特別な力を持つ飛行おにの存在です。飛行おには、ずっと自分が探し続けていたルビーの王さまを手に入れようと、ムーミンたちに近づいていきます。魔法を使える飛行おに、ムーミン達がおそろしい目にあわされるのではないかと私は心配でした。しかし、それは全く見当違いでした。飛行おには魔法を使ってむりやりルビーをうばいませんでした。それどころかみんなの願いをかなえることに自分の魔法の力を使うというのです。飛行おにの魔法は自分自身の願いをかなえるためには使えません。それを知ったトフスランとビフスランのすばらしい思いつきは、私をとてもすがすがしい気分にさせてくれました。ルビーの王さまをもう一つ、飛行おににお願いしたのです。そうすれば、ルビーは二つになり欲しい両者が、わけあうことができます。互いの言い分もじっくり話し合い、立場を思いやれば、争うことなく、実は簡単に解決し、お互い幸せになれるかもしれないのです。ムーミン達の物語は、私に様々なことを温かく教えてくれました。この温かさこそムーミンが愛されている理由だろうと思います。

 

 

【高校生の部】

 

最優秀賞

中原 妃華里さん 高2

『ことばたち』 ジャック・プレヴェール作 高畑勲訳 ぴあ株式会社

 

【受賞のことば】

 この度は栄えある最優秀賞にご選出いただきありがとうございます。詩の感想文というものは読んだことすらなく、自分の書いたものが上手く伝わるかどうか不安が大きかった分嬉しかったです。

 作文のテーマの関係で、一番気に入っていた「劣等生」含め触れられなかった詩や表現も多くありましたので、どこかで文章にできたらいいなと思います。

 

【作品】

解けてはいけない謎

 

 私が詩を読み始めたのは中学生の頃だった。初めて図書館で借りたのは中原中也詩集で、苗字が一緒だったというだけの理由で手に取った。私は本選びに関してそういう粗雑なところがある。とはいえ、そのおかげで詩が持つ独特の魅力を知ることが出来た。洗練されたことばが編み出す独特の世界観にうっとりと浸る時間は小説を読んでいるときとはまた違った高揚感を与えてくれる。美しく心を満たしてくれるもの。これが私の中での認識になった。ところが高二の夏、それをことごく破壊する詩たちに出会った。フランスの詩人、ジャック・プレヴェールの詩だ。そして私の中に残された爪痕は癒えるどころか日に日に深さを増している。

 

 はじめて読んだ訳詩集は『ことばたち』。翻訳した高畑勲が私の好きな映画監督だったというこれまた安易な理由で読み、唖然とした。こんな詩が、存在していたのかと。ファンタジーの衣を纏って現実を映し出す物語を寓話というのならば、それらはまさに寓話的なものだった。ファンタジーにしてはいささか描写が直接的で陰惨なものもあるが、そんな風に思った。散文詩が多かったことも影響していたのかもしれない。彼の詩の中では鳥は人と言葉を交わすし、二匹のかたつむりたちは葬式へと出かける。間違いなく現実とかけ離れていていかにも「詩的」だが、そこには現実が、「真実」がはっきりと映し出されていた。詩の世界に決して没入させてはくれない。ことばの端々から滲む戦争や抑圧に対するプレヴェールの怒りが胸に突き刺さった。私はその詩たちの背景には彼の経験した二度の大戦とナチスの占領下の記憶があったことを先に述べておきたい。彼のことばが決して単なる想像ではないことを知っておいて欲しいからだ。

 

 彼の詩に「鯨釣り」というものがある。それはとある一家のお話だ。ある日のこと、父親が息子のプロスペルを鯨釣りに誘う。しかし彼はそれを断り、仕方なく父親は一人で海に向かい鯨を一匹釣って帰る。それからプロスペルに解体してくれとナイフを渡すのだが、またもや彼は断り、ナイフを放り投げてしまう。すると突然、鯨がそのナイフを掴んだかと思うと、父親を刺してしまうのだった。喪に服す母親を見て鯨はその行いを後悔するが、急に笑い出したかと思うと母親に向かってこう言い残し家を去っていく。

 

 

  奥さん、誰かが来てわたしをよこせといったなら

  どうかお願いです、こう答えて下さい

  鯨は出ていきました

  おすわり下さい

  ここで待ってください

  十五年たったら、きっと鯨は戻ってくるでしょう

 

 

 私はこの詩に戦争を垣間見た。父親が向かった荒れ狂う海は戦場だろう。鯨は敵の兵士である。なぜならプロスペルや彼の父親は敵の兵士を同じ人間だと思っていなかったからだ。同様に、鯨からしてみればプロスペルの家族もまた「鯨」に見えていたに違いない。そして鯨は敵であるプロスペルの父親を殺し、ひとつの家庭を壊したことで、初めて自身とそれまで「鯨」と思っていたものたちが同じ人間であることに気づいたのだ。自分がしたことはただの人殺しだ。そう気付いて彼は自身と祖国を嘲笑ったのではないか。別の訳詩集ではあるが岩波文庫の『プレヴェール詩集』に「鯨の罐詰を作る女工たちの唄」というものがある。その詩の中でプレヴェールは漁師や百姓の娘たちに語りかける。「きみらの一生は不幸だろう/子供をたくさん生むだろう/たくさん たくさん/その子供らの一生も不幸だろう」と。題名から察することができるように、その子供たちも「鯨」なのだ。彼らの中のひとりがプロスペルの父を殺したのかもしれない。

 

 プレヴェールの詩を読むと、ことばのひとつひとつが何を意味しているのかを考えさせられる。読み終えた後にそれについて思索を巡らす時間が、その詩を本当の意味で鑑賞している時間だ。また、その時間はその場限りのものではない。日常のふとした瞬間に顔を覗かせて何度も何度も現れる。なぜならそれらが単純明快ではないからだ。何だかよくわからない。だからこそ知りたい。そうして心に残り続ける。「鯨」が十五年したら戻ってくる理由。それを知る日がいつか訪れるのだろうか。

 

 私は元来、詩に限らずあらゆる「反戦を訴えているもの」に対して幼い頃から苦手意識を持っていた。「あの頃の記憶」などと題して語られるその悲惨な過去を語り継いでいくことの必要性を頭では理解していた。けれどそういったものを見聞きした時に自分が共感してしまうことに嫌悪感があったのだ。まるで自分が当事者であるかのように悲しく苦しい気持ちになってしまう。そんな自分が嫌いだった。なぜなら私は本当の意味でその過去を知ることはできず、彼らと同じ気持ちを抱くことは出来ないはずだからだ。それでもやっぱり泣いてしまう。彼らの苦しみの上に造られた社会でのうのうと生きているというのに。もし事前にプレヴェールや彼の詩について少しでも知っていたならば、私がこの本を開くことはなかっただろう。けれど私は何も知らず、何の先入観もなしに本を読んだ。泣くことはなかった。彼の詩には確かに強い反戦の意が織り込まれている。けれどもそれらは戦争による人々の苦しみや悲しみを読者に共感させるような、感情に訴えるものではなかったからだ。ただ静かに、淡々と描かれていた。とても激しい怒りをそっと押し込めるようにして。故に、常に客観的な眼差しで見つめることができる。私にはそれがうれしかった。

 

 同じく戦時中について語ったものに「馬物語」という詩がある。ここでは一匹の「馬」が身上話を語る。幼くして両親である二頭の馬を将軍に殺されてしまった彼は、命からがら大都会へと逃げ出した。しかし戦争が始まり、彼は動員されてしまう。戦況の悪化に伴い生存者が少なくなると、人々は彼をじっと見つめ「ビーフステーキ」と呼ぶようになるのだった。そしてある晩、彼を食おうと話す声が聞こえ、その声の主があの将軍だと思った彼は森へと逃げ出した。戦争が終わり、将軍が死に、最後に彼はこう語る。

 

 

  彼の美しい死を死にました

  でもぼくは生きています それが肝心なことです

  こんばんは

  おやすみなさい

  たんと召し上がれ将軍さん

 

 

「死を死にました」という言葉に違和感を覚えるだろうがこれは原文のまま引用したものである。「馬」は命の危機に際して二度将軍から逃げた。それなのになぜ、将軍の死が「美しい」のだろうか。「召し上がれ」と言ったのだろうか。

 

 しばらく考え、「馬」はアフリカ兵ではないかと思った。理由は二つ。馬は古くから家畜化されている動物であり、人に使役されることの多い動物であること。それともちろん全てではないが馬の被毛は茶褐色や黒色が多いことだ。当時フランスはアフリカ大陸の広い地域に植民地を持っており、そこから連れてきた者たちをフランス軍の一員として戦争に動員していた。まわりのフランス人たちとは異なる存在であり、「人間」よりも劣った存在という認識がそこにはあったのではないかと思う。また、馬を喰らうといのは特攻させるということを示しているのではないかと思った。「馬」の命を奪う行為であるということと、戦況が苦しい時に使われる手段というイメージがあったからだ。いずれにせよ、それが命を消費する行為には変わりないはずである。対して「人間」たちはそのことに何も感じていない。だから「馬」に対してビーフステーキと言ったのだ。彼らからすれば馬も牛もさして変わらないのだろう。

 

 やがて戦争が終わり、将軍の死によって「馬」は自由になった。けれど彼は幸せになることが出来たのだろうか。この詩の冒頭で彼は自身の人生を孤独だったと称している。自由になれども彼を同じ「人間」として対等に接した者はいたのか。人種差別は七〇年以上経過した今でも根強く残っているというのに。結局、彼は「馬」のままだったのだ。その一方で両親を殺し、自身をも殺そうとした将軍は、「人間」だった。だから彼にとって将軍の死は美しい。「たんと召し上がれ」という言葉にはそんな彼の絶望が表れているような気がする。

 

 ここまでに挙げた二つの詩には同じ人間同士に横たわる深い断絶が示されている。それらは戦争や植民地主義によって生み出された。ではそれらが無くなれば、その溝は消えるのか。第二次世界大戦の終結を日本の降伏時とするならば、今年で七六年が経過した計算になる。

 

 最後にもうひとつ「自由な外出」という詩を引用したい。これは前述の詩たちとくらべれば短いものだ。ひとりの男が軍帽を鳥籠に入れ、頭に小鳥をのせて外出した。そんな彼にもう敬礼はしないのかと司令官が尋ねる。「しないよ」と小鳥が答え、「失敬」と謝った司令官に小鳥は「あやまることないよ だれしも間違いはあるもの」と言う。

 

 鳥はもちろん自由のこと。それまで封印されていた自由に代わって今度は軍帽、つまり戦争や兵器を封印された。つまり戦争の終わりを意味している。ここで肝心なのは軍帽を捨てるのでも燃やすのでもないということ。決して無くなりはしないのだ。

 

 そして最後の小鳥の言葉に注目したい。「だれしも」間違いがあるのだという。では私たちは間違わずにいることが出来るのか。軍帽は鳥籠の中にある。無くなってはいない。だから私たちは用心する必要がある。

 

 プレヴェールの詩には意味を捉えることが容易でないものが多い。それでいてなぜこんなにも心が震えるのか。彼の詩を読んでいると、その情景が幼い頃に親しんだエドワード・アディゾーニの絵となって浮かび上がる。岩波少年文庫の『ムギと王さま』の挿絵を描いた人だ。この方の描くあの特徴的なペン画は白黒なのに温かみがあり大好きだった。それがプレヴェールの詩にはぴったりなのだ。それは直接的な言葉で語られる昏い世界の根底に、人間への深い愛があるからに違いない。そうでなければ人と人との間の歪な壁に気付いたはずがない。

 

 私は幸いなことに未だ戦争を経験せずにいることが出来ている。はっきりとした差別を受けたことも無いし、したことも無いと思いたい。けれどその存在をプレヴェールの詩によって強く思い知らされた。平和学習というものの一環でほぼ毎年戦争の悲惨については耳にするし、何より私の誕生日が八月一五日ということもあってその存在は私の中で決して小さくはない。けれどここまで戦争について深く考えたことは無かったと思う。人生一七年目の今更になって、しかもフランスという遠い異国の詩人によって触発されたのはなぜか。確かにプレヴェールの詩よりも鮮烈な話を読んだり聞いたりしたことはあった。しかしそれ故に、そのどれにおいても感情移入してしまい、涙を堪えるので精一杯で思考の余地が残らなかったのである。そして二、三日も経ってしまえばあまりに平和な日常に埋もれてそれらは息をひそめてしまう。もちろんそれは私の意志の薄弱さと能天気さに起因されるものであり、決して批判したいわけではない。むしろそんな私がここまで考え続けさせることを可能にしたプレヴェールの詩にスポットライトを当ててほしいだけである。彼が残していった多くの謎。鯨の謎、馬の謎、鳥の謎……。もちろんここに載せられなかった分もまだ沢山ある。謎が謎であるがゆえに沸く言い知れぬモヤモヤが、色褪せぬ存在感の秘訣なのかもしれない。もしそれらが解けることがあるとすれば私が彼と同じ経験をするとき、つまり戦争やそれに近しい状況が自身の身に起きたときである。少なくともそれまではその謎とともに私の胸に残り続けることだろう。その日が訪れないことを切に願う。

 

 

最優秀賞

中俣 由羽さん 高3

『オペラ座の怪人』 ガストン・ルルー作 平岡敦訳 光文社

 

【受賞のことば】

 この度は作品についての講評と素晴らしい賞を頂けたこと、とても嬉しく思います。

 オペラ座の怪人は舞台や映画が有名ですが私はどちらも観たことがなく、今回小説を通して初めてその世界観に触れました。クリスティーヌへの愛情は狂気的だけれど、表向きは紳士に振る舞った怪人の「低くて優しい声」を聴いてみたいと思い書き始めた物語です。読んでくださりありがとうございました。

 

【作品】

 怪人にまつわるもうひとつの話

 

 オペラ座の怪人ファントムは実在した。かつてのオペラ座で起こった無数の奇妙な出来事や歌姫クリスティーヌ・ダーエの失踪事件、シャニー伯爵の不可解な死は全て、このオペラ座の怪人によるものだった。

 長らく、オペラ座の怪人は支配人や噂好きの踊り子たちが作り上げた空想上の人物とされていた。しかし三年前、私は確固たる証拠のもと、オペラ座の怪人が実在したことを文書にまとめて発表した。そうしたところ、親愛なる読者の多くから感想の手紙を頂いた。中にはオペラ座の定期会員として当時の怪事件の現場に居合わせていた名家の伯爵や、かつてオペラ座の奈落で舞台装置を動かしていた道具方からのありがたいお言葉もあった。

 さて、今回私が再び筆を取ったのにはこうした手紙の中に大変貴重な、新しい事実が書かれていたからである。それはパリ市内に住むひとりの女性からの手紙であった。

 諸事情により文の掲載は控えるが、それは概ね、次のような内容である。

 

『私の姉はかつて、ひとりの男性に恋をしていました。姉は私が実家へ帰るたびに、いつもその男性の話を聴かせるのです。その男性とはオペラ座で知り合ったようですが、貴方の文書を読んだ今になって思い返すと、姉が恋焦がれた男性というのがかの怪人に思えて仕方がないのです』

 

 私は仰天した。いくらエリックが音楽の天使のように清らかな声と、他を魅了する幻影を生み出す才を持っていたからといって、一人の女性が彼に恋に落ちるのは不可能なことだと思っていたからである。

 なにせ、彼は天から腐肉を授かってしまったのだから。見るに耐えない醜悪な顔をしていたのだから。

 しかし、私は手紙と向き合ってもう一度よく考えてみた。怪人に愛された歌姫は、たとえ怪人を愛していなくても、最後には哀れなエリックの額に口づけをしたではないか。

 彼の哀れを思い、涙を流したではないか。

 ふむ、そう思えばひとりの心麗しい乙女が哀れなエリックに恋することは(皆無に等しいにせよ)あり得ないことではないのかもしれない。

 私はそう考え直すことにした。そうしてまずは真実を突き止めるために、手紙の送り主である女性の元へ直接話を聞きに行くことにした。

 そしてこれから私が記すのは、パリ市内のアパルトマンでその女性から聞いた実話である。それは以前私が発表した『オペラ座の怪人』に記した諸々の怪事件と時を同じくして起きていた。

 ところで、本題に入る前にここで読者にあらかじめ断りを入れておくことにしよう。ここから先の話は、前述の『オペラ座の怪人』を読者諸氏が既読している前提で話を進めていきたいと私は思っている。

 

 

 その晩、オペラ座ではドゥビエンヌ、ポリニー両支配人の送別のために豪華なガラコンサートが開かれた。スペイン人の歌姫カルロッタが急遽休演することになり、代役としてクリスティーヌ・ダーエが『ファウスト』のヒロインを務めることになった日である。

 クリスティーヌの天使のような歌声に、客席の貴族たちはみな拍手喝采だった。立ち上がってブラボーと声を上げるものも多い。

 二階の七番ボックス席にいた礼儀正しい伯爵もそのうちのひとりであった。彼はパリ市内の、貴族たちが大勢住んでいるサン=ジェルマン通りの一角に邸宅を構える由緒正しい貴族の長男で、先日不慮の事故で若くして命を落とした父親の後を継いで伯爵となった。オペラや絵画にも好んで接する好男子で、女性に対する態度も恭しくパリジェンヌたちに人気があった。

 そんな伯爵の隣の椅子には、彼と同じブロンドの髪が美しい女性の姿があった。伏せられた目は長く儚いまつ毛に縁取られ、陶器のように白い頬は感動と興奮ゆえか、バラのように上気していた。彼女もクリスティーヌ・ダーエの歌声に魅了されたにちがいない。

 しかし、どうしたのだろうか、彼女はしなやかな両手で自身の耳をすっぽりと覆ってしまっていた。

「ほら、そんな顔をしないで。眉間にしわが寄っている、痕がついてしまうよ」

腰を屈めて、伯爵は言った。

「だって、塗り替えられたくないのよ。あんなに素敵な歌声を聴いた後なのに、拍手の音で頭がいっぱいになっちゃうわ!」

彼女は伯爵の方へ顔を向けながら、唇を尖らせて不満をこぼした。

「余韻に浸っていたいのよ」

「そうかい、なら仕方がないな」

伯爵は再び舞台に視線を移した。ヒロインのクリスティーヌが、歌いきった勢いのまま気絶をしてしまったらしい。大勢の大人たちが忙しなく舞台を舞台上を行き来している。

「……ねぇ、お兄様。何か声が聞こえなかったかしら?」

「さあ?私にはさっぱり……」

 耳元にあった両手は膝の上でちょこんと握られているが、相変わらずしかめっ面をしている彼女は左側の壁に顔を向けながらそうつぶやいた。拍手にかき消されて危うく聞き逃す所だった伯爵が首を傾げて言う。

「となりのブラボーの声でも聞こえたんじゃないか?」

「……さあ、わからないわ」

伯爵の言うとなりとは、七番ボックス席の隣の個室と言う意味だった。隣のボックス席にいる人がブラボーを言う声ではないか?

 この場合、隣のボックス席は彼女が顔を向けている左隣のボックス席ということになる。

「そういえば、隣の五番ボックス席には妙な噂がある……」

 顎を撫でながら伯爵は言った。微かな記憶を思い出そうとしているように見える。

「妙な噂?」

「ああ、なんでも二階の五番ボックス席はオペラ座の怪人専用らしい」

 そう、読者が既に知っている通り、五番ボックス席は怪人の特等席だった。この晩からしばらく経つまで新たな支配人たちは怪人の特等席を知りもしなかったが(怪人の存在すら認めていなかったが)、オペラ座に訪れる貴族の間では、既に踊り子たちと同じように噂話が流れていた。

「まあ、それ本当?なら今の声は怪人のものなのね」

「いや、ただの噂だがね。声がどうかも分からないくらいの音だったのだろう?」

「いいえ、今のは怪人の声だわ。ハッキリと聞こえたの、殿方の声だったわ。ええ、きっとそう!怪人の声だったのよ!」

 彼女は頬を赤らめながら勢いよくそう言った。怪人の声かもしれない音が聞こえたことがそんなに嬉しかったのだろうか。

「まあ落ち着きなさい。ほら、拍手をして」

 伯爵は隣に座る妹の興奮ぶりにため息をつきつつ、未だ拍手が鳴り止まない舞台へ視線を戻した。

 

 それから一週間ほど経った日のことだった。

「お兄様、私ね、また怪人の声を聞いたのよ」その日の公演も終わり、階下の人々がまばらに席を立ち始めていた頃だった。

「やっぱり怪人さんは素敵な殿方なのよ。話す物腰も声も優しかったわ」

「まさか!オペラ座に来てから私とは一度も離れていないのに。私にはさっぱり聞こえなかったぞ」

「一幕と二幕の幕間の時よ。隣から『ジリーおばさん、足置きを頼む』って聞こえたの」

「ばかな、いくら壁一枚とはいえ貴賓席だ。そんなに声が漏れるわけないだろう?」

 伯爵の言葉を聞いた彼女は面白くないと全身で主張するように、キッと眉を寄せて肩に力を入れた。

「漏れた音じゃないわ、はっきり聞こえたのよ!お兄様ったら、私の耳がどんな目よりも良いことをお忘れかしら」

「ああ、悪かった。忘れていないよ、ちゃんと覚えているさ。お前の耳は優れているってことをね」

 

 彼女が耳と目にこだわるのには理由があった。彼女の耳の性能は、はっきりいって他の人と何ら変わりはない程度だった。しかし彼女の耳は色々な音を拾うことができる。馬車が行き交う石畳の上に硬貨が落ちる音や、人で溢れた広場で泣く迷子の少年の声、拍手の中でつぶやかれる噂話。どんなに些細な音も全て耳から頭へ流れ込んできた。我々では到底聴き逃してしまうような音を彼女は拾うことができた。それは彼女が、全神経を耳に費やしているからといえば良いのだろうか。

 彼女は、生まれつき目が見えなかった。

 幸い家庭にも恵まれて、目が見えなくともなに不自由なく生きてくることができた。しかし目が見えないというのはやはり不便で、どこに人がいるのか、今はどんな状況なのかを正確に把握するのは至難の業だった。そこで彼女は全ての情報を耳から、音の中から得ようと試みた。どんな時でも耳を澄ませるように心がけて過ごした。そうして二十余年が経った今では、話し声や衣擦れの音まで細かく拾っては、人がどこにいるのかを目で見るくらい正確に認識することができるようになった。

 そんな妹が言うのだから、怪人とやらの声ははっきり聞こえたのだろう。しかし迷信をあまり信じていない伯爵は、やはり怪人なんてただの噂だろうと思って軽くあしらうことにしたのだった。

 

 

「いいかい、私はサロンにシャンペンを取りに行ってくるからね。ここから離れないでくれよ」

「わかってるわ、こんなに賑やかだとお兄様を探すのも一苦労だものね」

「そうだ。良い子だから待っておいで」

 真っ白の仮面をつけた女性が黒い仮面の男性にヒラヒラと手を振った。黒い仮面の男は踵を返して大階段の方へと向かっていく。

「こんなに賑やかなところだと思っていなかったわ。頭がぐらぐらする……」

 そう、大階段を降りたところに広がるホールの壁にもたれかかり、しゃがみ込んでいる白い仮面の女性こそ、盲目の彼女だった。

 今晩オペラ座で開かれている仮面舞踏会にどうしても参加してみたいと兄の伯爵にせがんで、渋々連れてきてもらったのだ。しかし、それは失敗だったのかもしれない。フランス各地から楽団が訪れて、貴族以外の人も無礼講に楽しめるパーティーだと聞いて期待していたのに、音楽は途切れ途切れの金切声みたいな音色で、聞こえるのはお酒を呑んで気分が高揚した人たちが放つ不安定なしゃがれ声だけだった。

「ひどい暴れ馬に乗っているみたい!ああ、酔ってきたわ」

 音が頭の中へ流れ込んでくる。頭がぐわんぐわん振られているようで気持ちが悪い。兄の伯爵が気を利かせて飲み物を取りに行ってくれたけども、シャンペンだけで治るとも思えない。ああもう!今日は帰ろうかしら。

 彼女が耳を塞ぎながらそう思っていた時のことだった。

「お嬢さん、大丈夫ですかな」

 ふと頭上から声が舞い降りてきて、彼女は息を呑んだ。そして瞬く間にホールがシンと静まりかえって、彼女を煩わせた音や声は何も聞こえなくなった。

「まあ、その声……」

 彼女は思わず耳に当てていた手を話し声のする方へと伸ばした。鼓膜が甘く震えるような心地の良い低い声。

 この声には聞き覚えがあった。

「……五番ボックス席の怪人さんかしら?」

「いかにも。貴方は七番ボックス席の、ジルベール伯爵の妹君だね」

 怪人は膝をついてしゃがみながら彼女に声をかけた。

「あら、私のことを知っていたのね!」

 伸ばしていた手をおろし、自身と同じくらいの高さに降りてきた怪人の声の方へ顔を向けてから彼女は言った。

「ああ、知っているとも。我がボックス席の入り口の近くで、危なっかしい動きをするお嬢さんがいたものでね。たびたび見守らせてもらったよ」

 彼女はぼっと頬を染めた。彼女は普段から障害物を見つけるための杖を持って歩いているが、それでも足元が覚束なくなることは珍しいことではない。しかし、それを兄以外の人に見られていたなんて。

「そんな!意地悪は言わないでちょうだい。あそこで転びそうになったのは二回だけよ」

「誤魔化したことが三度あっただろう」

「まあ、黙って見ていたのね!」

 彼女は恥ずかしくて頭がカッとなった。それと同時に再び気持ちの悪い不協和音が耳の中へ流れ込んでくる。

 怪人は純白の仮面の奥で彼女の表情が歪むのが見えたのだろうか?こほんと咳払いをした。

「そんなことはどうでもいい。立てるか?私が静かなところまで案内しよう」

 立ち上がった怪人がそっと手を差し伸べる。真っ赤なマントの袖口から覗くては不気味な格好をしていたけれど、見えない彼女にはそんなことは関係なかった。彼女は怪人の方へと手を伸ばし、怪人がその手を恭しく受け取る。

「伯爵には後で私が伝えておこう」

 そう言って怪人は彼女をエスコートして歩き始めた。

 このとき怪人は真紅の服に羽飾りのついた帽子、顔は本物そっくりの骸骨という格好をしており、引きずるほど大きな赤いマントには「われはさまよえる赤き死なれば……」という妙な言葉が描かれていた。

 側から見れば真っ白なドレスと仮面に身を包んだ生娘が、真紅のビロードの赤き死と連れ立って歩いている、なんとも奇妙な光景だったに違いない。しかし、浮かれきってこの場所で、彼らに目をくれるものはいなかったのも確かなことだった。

「階段を登る」

「いいか、また階段だ」

 徐々に音が減っていく中に響く怪人の声は、彼女にとってはとても心地の良いものだった。落ち着いた低音が、ぐらぐら揺れていた頭に冷静さを取り戻してくれるようだった。

 そういえば、私は元々この声が好きだったのよ。ふと彼女は考えた。ボックス席の壁を挟んで初めてその声を聞いた時に、その素敵な響きに耳を奪われた。言うなれば一目惚れ(この場合は一耳惚れというのだろうか)だったのだ。だから初対面にも関わらず言葉を交えて、手を取って歩いているのだ。いくら純粋な娘とはいえ、全く知らない男にホイホイ着いていくほど彼女の頭は落ちぶれてはいなかった。

 ただ、この人になら連れ去られてもいいと感じた。それだけのことだった。

「さあ、着いたぞ。ここに座って待っているといい。じきに伯爵がシャンペンを持って登ってくるだろう」

 怪人が彼女を連れてきたのは、ホールから遠く離れた盲人席であった。手を添えて、椅子に彼女を座らせる。

「エスコートありがとう。やっぱり、怪人さんって優しいのね」

「やはりとはなんだ?今まで君に優しくした覚えはないが……」

「ええ、顔を合わせたのは今日が初めてだもの。けれど、あなたは声が優しいから。きっと優しい方だと思っていたのよ」

 ふふふと彼女は小さく笑った。対する怪人は驚いて言葉に詰まったのだろうか。一拍間を置いてから、ハハハと大きな声で笑った。

「そんなことを言われるのは初めてだ。あなたは随分と純粋なんだな」

「まあ、本心なのに」

「いやなに、気分はいいさ。なんせ優しいなんて言われるのは人生で初めてだからな」

 さらりとビロードが擦れる音がして彼女は目線を上へとずらした。きっと彼女の前にひざまづいていた怪人が立ち上がったのだろう。

「さて、お嬢さん。私はこのように気が良いまま失礼するとしよう。少々探している人がいるもんでね」

 そう言いながら盲人席の扉をギィと開けた怪人は、廊下へと足を踏み出した。

「伯爵はじきにくるだろう」

「ええ、きっと今頃は血眼で探しているわ」

 彼女はいたずらっ子のようにベッと舌を見せて笑った。そしてビロードのマントを引きずる音と、微かなブーツの足音が少しずつ離れていくのを感じた。

 

 

 これが彼女と怪人が出会った一部始終の物語である。

 この後、怪人が消えてから十五分後に、彼女は血相を変えて盲人席へ駆け込んできた兄の伯爵にこっぴどく叱られた。「私がいない間に一人で行動するなんて信じられない」と言われた彼女は「ひとりじゃないわ、怪人さんが連れてきてくれたのよ」と正直に答えたが、むしろ兄の逆鱗に触れてしまったらしい。空が白み始めた頃にオペラ座のクローク係が二人に退出を促すまで、伯爵の容赦のない説教は続けられた。しまいには「もうオペラ座には連れて行かないからな!」とまで言われてしまい、彼女はすすり泣きしながら自宅へと帰ることになった。

 つい数時間前の甘い時間も忘れて、ぽろぽろと涙を零す彼女のなんて哀れなことか。私がその場にいたのなら、慰めの言葉をかけてどうにか伯爵の怒りを鎮めるのだが、しかしそういうわけにもいかない。

 そうして彼女は、本当に、二度とオペラ座へ訪れることはなかった。

 しかし仮面舞踏会の、半刻にも満たないオペラ座の怪人との逢瀬は彼女の胸にしかと刻みつけられたようだった。その証に、彼女はそれから何年もの間、嫁いだ妹が家に帰ってくるたびにその晩のことを楽しそうに話していたそうだ。「その姿はまるで恋する乙女そのものだった」と彼女の妹は私に告げた。

 ああ、もしも哀れなエリックが彼女の想いに気がついていたのなら。もしもクリスティーヌよりも先に盲目の彼女と出会っていたのなら、哀れな男の運命も少しは変わっていたのだろうか。

 たとえエリックがどんなに醜い容姿をしていようとも、それが見えない彼女なら彼を受け入れてくれたのではないか。むしろ、彼女はそれを望んでいたのではないか?私はそんな事を考えないではいられなかった。

 しかしあれから三十三年が経った今ではもはやどうすることもできないので、もどかしいながらもこの奇怪なもしも話は私の胸の内に留めておくことにしようと思う。

 最後に、ここまで読んでくれた方々にお礼の意を述べるとともに、彼女の妹から聞いた彼女の言葉を掲げて締めたいと思う。彼女の恋する乙女の茶目っ気あふれる盲目さが読者の皆様に少しでも伝わりますよう。

 

「ねぇ、聞いてちょうだい。彼は本当に素敵な殿方なのよ!とても優しくて綺麗な声の人。けれども私は彼の名前は知らないの。彼もきっと私の名前を知らないわ!ねえ、こんなにロマンチックなことってあるかしら?」