最優秀賞2作品、優秀賞1作品、特別賞1作品は、サイトに全文を掲載します。

 

まずは最優秀賞を受賞なさった宮田 葵さん、上原 彩佳さんの受賞のことばと作品全文です。

おふたりには賞状と図書カードを授与いたします。あらためまして、おめでとうございます!

 

このコンクールは本を読んで思いついたことを作文にして送るスタイルです。そのため、本の結末が作文に書かれていることがあります。結末がふくまれる作文には★注意書き★をつけましたので、まだ結末を知りたくない方は、ぜひ本を読んでから作文をお読みください。

 ※応募者の作文は原則としてそのまま掲載していますが、表記ミスと思われるものを一部修正している場合があります。                        

 


最優秀賞
宮田 葵さん 高1
 『チェルノブイリの祈り―未来の物語』 スベトラーナ・アレクシェービッチ作 松本妙子訳 岩波書店

 

【受賞のことば】

 この度はこのような素晴らしい賞をいただき、本当にありがとうございます。最優秀賞をいただけるとは思っていなかったので、驚くと共に喜びを感じています。今回、読書探偵作文コンクールに参加することで、翻訳書を読むことが多様な世界を知る第一歩になることを実感しました。この貴重な経験を、未来を築く力へと変えていきたいと思います。

 

 【作品】
「知る」ことで未来を築く ――『チェルノブイリの祈り』を読んで――

 

「科学技術がもたらした大惨事以上のもの」、「戦争に輪をかけた戦争」、「宇宙的な大惨事」、「死と結びついたなにか」、「第三次世界大戦」。これらはすべて、私の読んだ『チェルノブイリの祈り』の中に書かれているチェルノブイリの原発事故を表した言葉である。この本は、事故の悲惨さや二度と同じことを繰り返してはならないという思いを伝えるために書かれた。私は、チェルノブイリで原発事故が起きたことは知っていたが、この本を読んで初めて事故の凄惨さについて知った。
 1986年4月26日、ソ連(現・ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所でこの爆発事故は起こった。約11万人の近隣住民が強制避難させられ、欧州各地で汚染された食物が大量に廃棄処分となり、全世界で放射能が観測された。また、世界保健機構(WHO)によると、事故処理作業をした旧ソ連作業員と高濃度汚染地域の住民の死者は計9000人と推計されている。これらのことは、その凄惨さを克明に物語っている。しかし、この本にはこういった統計学的な事実が書かれている訳ではない。そこに実際に生きていた人々がそれぞれの立場で、何が起きたのかを感情を交えて語った「生の声」が記されているのだ。この事故は多くの人に計り知れないほどの苦しみ、悲しみ、絶望を与えた。
 人々の暮らしを豊かにするために開発されたはずの原子力発電所。しかし、ひとたび事故が起きれば、想像を絶する苦しみを人々に与える悪魔へと姿を変えてしまう。被害を受けた方は、こんなに辛いことなど思い出したくもないはずだ。それでも伝えなくてはならないという思いが強かったからこそ、こうして語ってくれたに違いない。そうであるなら、 私たちはこの凄惨な事故の描写に目を背けるのではなく、それを語ってくれた方々の思いに応えるためにも、チェルノブイリで実際に何が起きたのかを「知る」よう努めていくべきではないか。
 こうした、「知る」ことの大切さを世界中に訴えた人物の一人に、ノーベル平和賞を受賞した女性人権運動家、マララ•ユスフザイさんがいる。彼女は、「本とペンは世界で最も強力な武器」という言葉を用いて、教育の必要性を強く訴えた。人は教育を通して、様々なことを知っていく。「知る」ということは各人の視野を広げ、物事を多様な視点から考えることができるようにしてくれる。だから、何か問題に直面したとき、私たちは適切な判断を下すことができるのである。それは、人が未来を築いていくために必要な力と言える。
「知る」ということ。それはあらゆることの源泉である。私が読んだ『チェルノブイリの祈り』はもちろん、様々な本を通して、物事の細部にまで目を向けていくことも、「知る」ということに他ならない。この本を通して私は、「知る」ことを重ねることが、やがてこうした事故をはじめとした諸問題の本質を見極める力となるとあらためて痛感した。
「知る」ことがいかに大切なのか、それはこの本が伝えるように、チェルノブイリ原発事故の被害が「知らない」ということで拡大してしまったことからも明らかである。事故が起きた当時、ソ連政府は、放射能漏れやその危険性について国民にほとんど知らせていなかった。そのため、発電所の火事の青い炎をひと目見ようとわざわざ見物に訪れた人がいた。また、事故処理の現場でかぶっていたパイロット帽を、欲しがった幼い息子に与えてしまい、その後息子に脳浮腫の診断が下されたケースもあったのだという。この人たちが放射能の危険性をもう少し理解していたなら……と思わずにはいられない!
 フクシマの原発事故の際もほとんどの日本人は、自分たちがいかに「知らない」かということを痛感したはずだ。原発の危険性、廃棄物処理の問題、放射能の性質など、多くの人にとって「知らない」こと、もしくは知識は持っていたとしても、身近に自分たちが直面している問題だとは感じていないことだらけであった。そこから私たちは何かを学ぶことができたのだろうか。次々と原発を再稼働させようとする現実は、私たちがすでにフクシマの悲劇を忘れてしまっているようにさえ映る。
「知る」ことで未来は変わってくる。それに気づいた私は、立ち止まらずにこれからも過去に起きたことや、今起きていることに注意深く目を向けていこうと思う。今回、私は本を通してあの凄惨な事故について知ることができたが、もちろん本でなくても構わない。 興味や関心を持って、様々なことを知ろうとする姿勢が肝心なのである。こうして知り得たことが、将来、自分の体験を通して互いに結びつけられ、新しい考えを生み出す力や、予期せぬ事態に対応する力となっていく。これは、若い世代である中高生の私たちだからこそできることなのかもしれない。まさに、これからの未来は、私たち自身がこうして得られた「力」で築いていかなければならないのである。二度と同じような経験をする人が出ないでほしいと願う「チェルノブイリの祈り」が全世界に届くことを共に信じながら。

 

  

最優秀賞
上原 彩佳さん 高3

『嘘の木』 フランシス・ハーディング作 児玉敦子訳 東京創元社

 

【受賞のことば】

 最優秀賞に選んでいただけたこと、大変嬉しく思います。元々ファンタジーが大好きで英語も読むため、幼い頃から翻訳書は身近で大切な存在でした。金原先生と田中先生の作品も何冊も読んでいてとても好きなので、今回受賞することができ、大変光栄です。

 嘘の木は久しぶりに私の二次創作欲を刺激してくれた特別な一冊です。高校を卒業し、一人の女性として更なる自立が求められる今、この本に出会い、この本への想いを形にできたことに心から感謝しています。 

 

【作品】★文中に本の結末がふくまれています★

 

 私には男尊女卑が理解できない。人類が誕生した時は男性も女性も平等だったはずなのに、いつから男性が優位な仕組みができたのだろう。どうして新しい命を実際にこの世に産み落とす女性が男性の肋骨から生まれたことにされなくてはならないのだろう。男尊女卑という概念が人類の歴史の中で長い間常識であったことを学んだ幼い時から、私はこの理不尽に対してかなり激しい感情を抱いてきた。フランシス・ハーディングの『嘘の木』を読み進める中で最初に私が感じたのはこの激しい感情の再来であった。
『嘘の木』の主人公、フェイスは女性の生き方がひどく限定されていたヴィクトリア朝時代を生きる十四歳の少女である。彼女は優れた知性に恵まれながらも、女性はどんな時も男性に敬意を持って従い大人しくしているべきという環境の中では、自己否定感の強い臆病な少女でしかなかった。家族よりも植物を優先し、自分の欲のために娘を利用するような父を敬愛し続け、ほとんど盲目的 に追い続ける彼女が私にはとても痛々しく見えた。
 その痛々しさを特に感じたのは62ページから始まるフェイスと医師の場面。当時少年が言ったなら絶賛されたであろう知識を彼女が口にした途端、医師の表情は曇り、フェイスは「先生が楽しそうに説明していたのに、私が知り過ぎていたためにぶち壊してしまったのだ」と自分を責める。なんでそうなるのかと私は盛大に頭を抱えた。続く医師の「男性の頭蓋骨の方が大きくて、それだ け知的だということを示しています。(中略)女性は知恵をつけすぎると、その魅力が損なわれて台無しになってしまいます」という台詞には吐き気がした。だが一番衝撃が強かったのは続くフェイスの「徹底的に打ちのめされ、裏切られた気がした。科学に裏切られたのだ。(中略)科学は、私が賢いわけがないと断じたのだ…もし奇跡的に賢かったとしたら、それは私がどこかひどく異常だということになる」という想い。医師の考えを鵜呑みにし、異常なのは自分だという思考に直結させるフェイスを見ていられなくて、私は一瞬本を閉じようかとさえ思った。
 しかし、最後には私の一度読み始めた本は必ず読み通すという信念が功を奏する事となった。
 まず、父の死後懸命にもがき続けるフェイスの姿は、同じ女子として応援せずにはいられないものだった。彼女は女性的な教育のおかげで身についた細やかさと彼女特有の知性をコンパスにして進む冒険家のようだった。何があっても父を敬愛しているからという動機に共感できたわけではなかったが、彼女の行動力には勇気をもらい、胸を打たれた。
 そして、この本の重要な一面を更に私に見せてくれたのは思いがけず、フェイスの母マートルであった。物語の前半、男性に守られるだけの女性を具現化した様なマートルは私の嫌いな女性キャラクター第一位を独走していた。しかし328ページでフェイスと衝突した際、主人が亡くなった直後に他の男性に媚を売っていたというフェイスの批判にマートルは「家族が生きるために闘っていたのよ。この容貌は私の唯一の武器なの。(中略)これは闘いなのよ、フェイス! 女も男たちと同じように、戦場に立っているの。女は武器を持たされていないから、闘っているようには見えない。でも闘わないと滅びるだけなの。」と返す。なんと勇ましいのだろう。彼女は女であることに甘えていたのではなく、女であることを武器にしていたのだ。誰よりも醜く、しかし強かに。また、この部分で“戦う”ではなく“闘う”と翻訳されていることに私は興味をひかれた。調べてみると“戦う”は広く武力によって物理的に勝負すること、“闘う”は自分の利益・要求の獲得のために主に精神的に勝負すること、と区別されており、まさに女たちのたたかいは“闘い”なのだとわかった。原書でどう表現されているのかはわからないが、少なくとも日本語訳では日本語ならではの簡潔だが深みのある素敵な表現がなされていると感じた。
 そして何と言っても圧巻だったのがこの本の終わり方。主人公が少女だというものの、力があるのは常に男性であったこの物語は、実は全てを女性が動かしていたという驚きの結末を迎える。その時代には稀有で疎まれてさえいた知性を用い、勇敢に家族を救うフェイス。女であることを武器に精一杯もがき闘うマートル。ヴェイン島での騒動を助長したジーン。自分の道を見失わない強さを持ち続けたミス・ハンター。そして全ての出来事の根源であり復讐の首謀者であったアガサ。この物語を動かしていたのは全て女性だったのだ。この結末を見届けて本を閉じたとき、女は強いという言葉が頭から離れなかった。
 十九・二十世紀頃から盛んになったフェミニズムの恩恵を現代の女性は受けている。フェイスの生きる世界と現代を比べればそれはよくわかる。だが女性が社会に出られる様になっても、女性だからこそ向き合わなければならない新たな問題が浮上しているのも事実で、2017年ごろから活発になった #MeTooの運動はその象徴と言えるだろう。つまり、少しずつ進歩が見られていても、女たちはまだ戦い、いや、闘いの真っ只中にいるのである。そんな世界中の闘う女性たちにこの本が届くことを願ってやまない。
 大丈夫、私たちは美しく強い。

 

〈作文に添付されていた上原さん作成の絵〉